西の魔女みたいに

意思を持って積み重ねる日々の記録

行動変容が求められているのかもしれない

来月には41歳になります。
振り返ると、自分には反抗期がなく、精神的に少しは自立できたのかなと感じることができたのも30歳と遅かった。
自分としては、30歳でようやく成人になった気がしたのですが、それからもすでに10年。

最近、息子が中学生になり、いろいろと難しい、めんどくさいことを質問されたり、こうしたらいいのに、もったいないなとつい思って言いすぎてしまい後悔したり。
躁うつ病の夫とも、もっと仲良くやりたいけれど、まだまだ母の意見に引っ張られたり、時々、どうしようもなく、鬱々とした夫に悶々としたり。
どうしたものだろうと思うことが多々あります。

また、同い年や年下で、すごい活躍を見せている方も増えてきて、本当に普通の人間である私は、この先、どうしていったらいいんだろうと途方に暮れる感じというか、空しい気持ちになってしまうこともあります。

でも、コロナのおかげなのか、これまではとにかく、楽しいことや意義のあることで予定を埋め尽くしておきたいという気持ちが強かった私ですが、少しずつ、何もしない時間でもいいんだ、意味のあることをしようと思いすぎなくてもいいんだと思えるようになった気がします(こう、わざわざ書いている時点でまだまだな気がするけど)。
それは、これまでいつも、どちらかというと、自分ばかり、自分中心で、積極的に出て行ってしまい、言いたいことは言わずにはおれない、という感じで、私はそういう性格だし、それでいいと思っていたところがあったけれど、もっと、待つこと、寄り添うこと、そういうことが大切なんではないか、と今更ながら、実感してきてるってことでもあります。
(私がすぐに暇になってしまうのも、そういうところと関係がある気がします。)

いや、これまでも何度も、待つことが大切なのではないかと思ったけれど、やっぱり、どうしてもできなかったのです。

でも、炭次郎が全集中の呼吸を訓練したように(娘が何度も録画した鬼滅の刃を見るもので)、私もその方面の訓練が、そろそろ本当に必要なのではないかと思い至りました。
そんなわけで、1月ももう終わりに近づく今頃に、ようやく今年の抱負ですが、今年は、人の話を聞き、いろいろとちゃんと待つ年にすると決めました。

いつの間にか私のブログの主要テーマの一つになっている「服」にしても、今朝も、一枚、ずっと気に入らなかった服を手放すことに決めて、少ないワードローブがますます少なくなり、あー、着る服ないよーと手近な服を買いに走りだしたくなっていますが、来月、ちゃんと時間を取って買い物に行って、試着して、もし気に入ったのがあれば買うということの下準備だととらえることにする、とか、そして、とにかく大切なのは、人の話を聞くことで、時々すごくびっくりするほど間の空く夫の話の腰を折らず最後まで聞いたり、職場でも、まず自分の話をするのではなく、人の話を聞いて、求められたら発言するようにしていこうと思います。