西の魔女みたいに

意思を持って積み重ねる日々の記録

母との関係についての前世療法(母との前世は見なかったけど)

お母さんとの関係のヒプノをしてみたらいいんじゃないと言われていたけど、なかなか怖くてできないでいました。

でも、ここ数年、母の行動にいろいろ傷つくことが多く、父が亡くなってからは会う理由もなくなってしまって、悶々とすることが多いので、もっと自然体で母のことを思えるようになりたいなー、やっぱり前世療法受けてみよう、と決意しました。

 

ちなみに、母の行動で傷ついたこととは、例えばこんなようなことです。

母のよく行く駅ビルでこども向けのイベントがあったので、申し込んだことを言ったら、来るって言っていたので楽しみにしていたのに、当日の朝「予定が入っちゃった」とドタキャンするとか。

母の勧めで我が家は家族全員で行くようになった美容院なのに、母から突然「私は美容院変えたから。10年通ったら変えることにしてるの。あなたも好きなところ、家に近いところに行けば。」と言われたとか。

できすぎたキャラブキをあげたいなと、「キャラブキ好き?いる?」と聞いたら、「いらない」と言われた、とか。

「お土産買ってきたから持って行くね」と言ったら、「いらない」と言われた、とか。

長男の誕生日プレゼントとして、現金を現金書留で送ってきて「言ってくれたら取りに行ったのに」と言ったら、「切手がたくさんあって使いたかったから」とか言われた、とか。

 

私に会いたくないのか、私のことが嫌いなのか、という気がしてしまうのです。

 

で、前世療法してきたのですが、 母との関係は、しっかりと固く蓋をされているらしく、思ったほどいろんなことは出てきませんでした。

それでも序盤からかなり涙、涙、、、。

 

最初の場面は、弟が生まれたばかりの頃。

弟を可愛がりたかったけど、どうしていいか分からない8歳くらいの私。

母についてもらっていろいろ教えて欲しかったのかなあと思いました。

 

思い返せば、母は、いつも怒っているイメージでした。

すぐ下の妹と喧嘩してうるさくなるとよく怒られた気がします。

そんな時、ずっとうるさくしていると、お姉ちゃんだから我慢してと言われたのかもしれないと思いました。

それは、心が凍るような気のする、理不尽で、とても悲しいことだったと感じました。

 

母の心はいつも、私のそばにはないような気がして、それが寂しかったんだなあとも感じました。

褒められるようなことをしても、「へー、ありがと」くらいな、さっぱりあっさりした感じで、いつも寂しかった。

いつもいつも、私をちゃんと見てって思っていたんだなと思いました。

でも、母も大変なのが分かっていたから、わがままを言えなかった。

 

今もなかなか母のことを怒ることはできません。

心が傷つくことがあっても、母との良かったこと、母にしてもらって嬉しかったことばかりを思い出すのです。

 

でも、私の心はかなり傷ついてるんだな、私のためには怒っていいんだと改めて思いました。

 

セラピー中も、大きくなった私は小さな私を完全に味方はせず、お母さんも大変だったんだよね、辛かったんだよね、可哀想だったんだよねと小さな私と言い合っていました。

でも、それじゃやっぱり小さな私がかわいそう。

わがまま言っていいんだよ、我慢しなくていいんだよ、と何度でも言ってあげたいと思います。

 

そんなことを思ったのは、「我慢」というのは仏教では煩悩の一つだとされていて、「自負して他人を侮ること」と言うのを知ったからです。

セラピーの後に、偶然目にしたことだけど、「そうだったのか!」と目から鱗

つまり、私は人のことを下に見てたんだな。

そして、自分が我慢することで上に立ってる気になってたんだ。

そう考えたら、我慢なんてする必要なし。

相手のことも自分のことも信頼して、我慢しないで、やりたいことは全部やっていこう、と思いました。

 

自分の心の蓋、自分を縛っているものが全て取れるまでには、まだまだ先は長いのかもしれないけど、一歩は進めたのかもしれません。