西の魔女みたいに

意思を持って積み重ねる日々の記録

両親の不仲について、私にできることは何もない

数年前から、父と母の仲がしっくりいかなくなりました。

 

それまで母は、父を立てているところがありました。

それは多分に、母の母、私の祖母の影響でした。

祖父はとても俺様な人で、祖母はそれに従うような人だったので、それをなぞっていたんだと思います。

 

そのように父にいろいろ気を遣っていた母が、母の妹、私の叔母からいろいろ話を聞き、自分の生き方を見つめ直すことになり、気を遣うことを一切やめました。

 

私の実家はとある宗教をやっていて、父はその宗教一筋に生きてきたような人でした。

逆に言えば、それ以外が何もない。

 

その宗教から母は離れることになったのですが、そういうところを、私の前で馬鹿にしたり、どうしてこんな人と結婚しちゃったんだろうと言い、その他にもいろいろな場面で、積極的に距離を置き、嫌悪感をあらわにするところを見てきました。

 

私はとても悲しくて、特に目覚めない父のことを思うと、胸が潰されそうに痛くなりました。

子どもは親の不仲にどうしても心を痛めてしまうもののようです。

 

父と母が何気ない日常をそれなりに幸せに生きてくれていることが支えでした。

毎週同じテレビを見ながら、語り合っている姿とか、二人で出かけて買ったお揃いのお財布を各々使っている姿とか、そんな姿を見かけると、私は安心していたのでした。

 

でも、今はそうじゃなくなってしまって。

 

子どもたちの誕生日会を開くと言っても、父しか来なかったり。

実家に帰っても、父と母は同じ部屋にいるのに、それぞれのことをしつつ(それはいいけど)、母は父に文句を言ったり。

 

父はせっかく大きな車を買ったのに、母も妹も乗ってくれないと言っていました。

そうだよね、母もまだ実家で暮らしている妹も、出かけるときはわざわざ自分たちだけ電車で行くのです。悲しいよね。

 

でも、昨日、ネットサーフィン(死語?)をしていて、両親の不仲について、子どもができることは何もないと思います、という知恵袋の答えを目にしました。

もともと、夫婦になる関係は、それぞれになにか学ぶべきことがあるような人を相手に選ぶとも書いてありました。

それは、その夫婦ふたりの問題であって、それ以外の誰の問題でもない、と。

 

その人は、両親には感謝しかありません、とも書いていました。

 

そうだな、本当にそうだなと思いました。

 

私も、私を生んで育ててくれた両親には感謝しかありません。

父のことも、母のことも、それぞれに大好きです。

 

私は、自分の人生を幸せに生きることしかできません。

両親の不仲について、私にできることは、本当に何もないのです。

 

何もできることがないことについて、思い煩っても仕方がありません。

思いわずらうことなく愉しく生きよ(by 江國香織)、ですね。

 

そう考えたら、まだ少し涙は出るけれど、ちょっと気持ちがしっかりしました。