西の魔女みたいに

意思を持って積み重ねる日々の記録

服に飽きる問題

昨日は実家へ行きました。

実家に帰る度、母が私に「この服着ない?」と持ってきます。

なんだって毎度毎度、着なくなった服が出てくるのだろうと思い、「なんでそんなにいらなくなる服が出てくるの?」と聞いたところ、「だって、飽きちゃったから」とのこと。

高度成長期に育った母らしい答えです。

 

つい最近まで、考え方が違うということに気づきませんでした。

私は、飽きない服ばかりに囲まれて暮らしたい。

同じ服を何度も洗って繰り返し着たい。

ほつれたら修理して着たい。

同じ服を何度も洗って繰り返し着ることって、母にとっては貧乏くさいことかもしれませんが、私にとってはなんだか好ましいことなのです。

 

服に飽きるのはなぜかを、ググってみたら、日常に飽きているからではないかとの答えが見つかりました。

受け身でいるばかりでなく、何かを生み出すなどクリエイティブでいると、服に飽きている暇がないとのこと。

母は常に何かを作っているので、その理由にはあてはまらず、単にいろいろな服を着たい、服が好きというだけなのかなと思いますが、この答えは、最近読んだ坂口恭平の「自分の薬をつくる」とも通じるところがありました。

 

 

曰く、インプットだけだと、人は鬱になる。

アウトプットしていないと、退屈になる。

退屈は鬱を呼ぶ。

 

本には、土に触るのがいい、ということも書いてありましたが、それも分かる気がします。

植物を育てるのは苦手ですが、コンポストを混ぜているだけでも、心が落ち着きます。

 

服のことばかり考えずに、周りの自然を愛したり、日常でつくることを楽しんだりすることが大切なのだと思います。