西の魔女みたいに

意思を持って積み重ねる日々の記録

シェレフティオというところ

昨日は2時間早く帰ったので、元気になりました!
鍵を忘れて、せっかく早く帰ったのに家に入れないじゃーん、となりましたが、もうすぐ部活が始まるであろう息子の中学校へ行き、門の外で待っていたら、案の定息子が出てきてくれたので、すごい嫌がられながらも鍵を受け取り、無事に家でつかの間、休めました。

スウェーデン留学の話がなかなか進まないので、また書きます。

さて、行く国が決まると、今度はホストファミリーの調整が始まります。
自分の性格やどういう場所・家族がいいかなどの希望を英語で書いたのだと思います。
ほとんど覚えてないけど、私は4人兄弟の長女であること、自然が好きなので田舎に住みたいことを書いたのだと思います。
それで、スウェーデンの首都、ストックホルムからだいぶ北のほうへ行った、日本であれば東北は岩手くらいのところにある、シェレフティオという町へ行くことになりました。
お子さんが4人(女17歳・男15歳・女9歳・男1歳/年齢は当時・多分)いる家族で、その家の長女が留学生を受け入れたいので、ホストファミリーに名乗りを上げたとのことでした。
お父さん以外は英語をほとんど話さず、行く前のやりとりはお父さんとの英文手紙だったと思います。
ヘラジカの絵とマジックでシェレフティオの場所を示してくれたスウェーデンの地図が描いてある大きなバスタオルは、今でも我が家にありますが、確か、行く前に贈ってくれたものだと思います。

歓迎してくれている気持ちは十分伝わってきていたと思いますが、自分が楽しみなのか不安なのかよく分からないまま、日本での宿泊研修を何度か終え、スウェーデンに行くほかの日本人の子たちと一緒に総勢7人で飛行機に乗り込んだ時、すごい勢いで悲しみが襲ってきました。
えー、本当にこれからスウェーデンへ行くの? 一年間も家族に会えなくなるの? そんな大それたことをしてしまうの?
初めて感じた気持ちでした。悲しくて、悲しくて、スウェーデンへ行くフライト中、隣に一緒に行く子が座っているのに、ずっと泣いていました。
涙が止まらなかったのです。

そんな切羽詰まらないと、自分の気持ちを感じることができないなんて、、、
今でも、絶句します。バカだなって思うし、かわいそうとも思う。

でも、いまだに、どうしてそうだったのか、何を思っていたのか、自分でも説明しきれない。
見たくない、知りたくないことが自分の中にまだあるのかもしれません。
そんな風に泣いていたのに、自分が本当は留学なんてしたくなかったんじゃないかと自覚し、言葉にできるようになったのは、本当にずっとずっと後のことで、自分が子どもを産んだあとくらいのことだったんだから、自分の気持ちをしまい込むことにかけては、かなり長けていたんだと思います。